白の闇 01


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 C大学病院。
 私立名門大学の付属病院として設置されているこの施設は、他の大学病院と違わず臨床・研究・教育の一貫したシステムを保持している。C大学病院は特に癌の研究に熱く、他病院からの紹介も多い。わざわざ地方から訪ねてくる人も、決して少なくは無い。それは、この大学知名度や権威の高さを示している。
 だが、この病院内で一人の癌患者が亡くなった。
 名前は田崎 絵美(たざき えみ)。年齢は二十台半ばとまだ若い。二年前に希望していた大手のコンピューター会社に就職が決まり、今春には人事異動に伴って営業部から企画開発部に抜擢されたばかりの若者だ。前途は開けていた。それが、わずか一年ばかりの時の中で閉ざされた。
 死因は乳癌。
 だが、そのカルテに書かれていたのは――。


 夜の東京はあちこちにネオンが輝き、暗闇を持たない。
 銀座の一角にあるホストクラブ「Kaiser」もまた、そのネオンを作り上げる電球の一つを担っていた。半地下になった入り口。その傍に、厭味で無い程度の看板を掲げている。
 華やかに着飾った女性が黒服の男性と共に扉の奥に消えて行き、その度に中からは微かに黄色い声が漏れていた。そこはさながら宝石を仕舞いこむ箱のようで、開く扉は誘惑を誘い、その中は敢然と輝きを保っている。
 その扉の前に二人、中年の夫婦らしき者が立つ。きらびらかな装飾に誘われたにしては、身なりが質素である。表情も暗い。夢を買いに来たにしては、明らかに場違いな二人だった。だがその瞳の奥だけは生々しい光を湛え、その双眸で透視でもするかのように扉の奥を睨みつける。
「ここまで来たら戻れないわよ、あなた」
 夏でもないのに厭な汗を流しながら、女が云った。応えるように男が頷く。
「解っている」
 そうして二人は扉を開いた。

「いらっしゃいませ。ようこそKaiserへ!」
 見目麗しいホストが接客用の笑顔で二人を迎え入れる。
 慣れていないのだろう。ひょっとしたら、こんな場所は初めてなのかもしれない。一瞬二人の目があっけにとられて見開いた。
「初めての方ですか?そちらの男性は、貴女の同伴で宜しいでしょうか?誰かご指名とかありますか?」
 矢継ぎ早の質問に遭い、夫婦は狼狽する。だが、彼女は漸く平静を取り戻すと、手にしていた一枚の紙切れをその従業員に見せた。
「紹介状を貰ったので、ここへ」
 彼はそれを受け取り一読すると、急激に表情を冷ました。今までの笑顔が、一転する。品定めするように夫婦を見つめ、それから奥に居る他の従業員へ指示を下した。
「アキ、清四郎さんに客だ。Vに通すと伝えてくれ」
「あ、はい」
 アキと呼ばれた少年は、夫婦の娘と同年代くらいの顔つきをしている。その彼に自らの宝物の面影を重ね、夫婦は一瞬泣きそうになる。だか相手はそんな事情など知らない。命じられるままに奥へと消えて行ってしまった。
「奥へとご案内致します。どうぞ、こちらへ」
 先程の青年はそう云うと、慣れた態度で二人を奥にあるVIPルームへと案内する。
 中に一歩足を踏み入れる。何の変哲も無いホストクラブ。銀座という立地からか、客層は幾分か大人しめのような気がした。が、あくまでそれは夫婦の想像するホストクラブとの比較であり、実際がどうなのかは知る由も無い。
 まるで地下の国に落とされたアリスのよう。
 現実とは掛け離れた別世界の入り口に触れ、彼女はそんな事を思った。そうだとしたら、さしずめ目の前の青年は時計を持ったウサギだろうか。
 理不尽な矛盾だらけの世界。――現実も、そう変わらないけれど。

 通されたのは、アンティーク調度品で飾られた狭い一室だった。カップはエインズレイ。外側は赤一色に染められたシンプルなものだが、中に薔薇の絵が描かれている。それに溶け込むようなオレンジの水食を放つ紅茶は、その辺にある安物とは全然違った香りを放つ。シャンパンのような気品ある味。一口含んで緊張を解こうとすると、その味に引き寄せられてカップが殆ど空になるくらいまで口をつけてしまった。
「気に入っていただけましたか?当店では見目だけではなく中身も本物を扱いたいが故に、茶葉もケニアから直輸入しているんですよ。カップはエインズレイのエリザベスローズ。英国貴族が愛用しているカップです」
 現れたのは一人の――少年だった。
 就労法に引っかからないのかと思うほどに幼い少年。金色に近い栗毛を柔らかく揺らし、肌は色を落としたライトでも解るくらいに白く肌理が細かい。少女に似たような顔つきで、零れ落ちそうなくらい大きな瞳を長い睫が縁取り、濡れたような赤い口唇が言葉を紡ぐ。
 ビスクドールさながらの容貌を備えたその少年は、当たり前のように彼女らの前に腰を降ろした。優雅な仕草で足を組むと、タイミングを合わせたようにティーカップが彼の前に置かれる。空になりかけていた彼女のカップにも紅茶が注がれた。
「下がっていいよ。ありがとう」
 少年は給仕らしき青年に云い、彼は一礼をして部屋を出た。
 残されたのは三人。少年と、それと夫婦だけだ。
「自己紹介をしておきましょう。僕の名は清四郎。赤城清四郎です。一応ここのクラブのチーフを担当させていただいてますが……ご用件はお店にあるわけじゃありませんよね」
 確認する為だけに微笑んでいると解ってはいても、どこかその笑みに威圧感を感じる。見目は幼いが、それなりに人をまとめあげてきたのだろうオーラというものを、若年でありながらこの少年は自然と放っていた。
 夫婦は早速話を切り出す。
「ここに窺えば、情報屋に接触できると聞きました。情報屋、清(せい)。どんな情報でも、彼の手にかかれば直に調べ上げられると聞きました。それで、こちらに――」
 どこか切羽詰ったような表情に、清四郎は片眉を上げて彼らを見遣る。
「どなたに紹介を?」
 明らかに一般人である彼らに対し、そう訊ねた。
 この清四郎こそが、夫婦の云う情報屋の清である。元々は先代であり、彼の父親でもある清和(せいわ)が始めた事業であり、裏社会に根付いた情報屋のネットワークの呼称が「清」だ。今は清四郎がそのネットワークを継ぎ、ホストという職種の傍らで仕事を請け負っている。
 だが、見て解るように特別看板を掲げているわけではない。依頼人の殆どは、会員からの紹介で成り立っている。一般人が簡単に存在を知り、依頼をしてくるような機関では無い。だから報酬は法外な値のつくものもあれば、小学生の小遣い程度のものを請求する場合もある。総ては清四郎のさじ加減一つで値段は決められていた。当然届出を出して行っている仕事ではない以上、違法行為ではある。
「C大学付属病院の望月助教授です」
 告げられた名前に、清四郎は反応を示さない。
 それに些か拍子抜けをした夫婦は、互いに目線を合わせていた。果たして本当に彼が望月の紹介した人なのかどうか、不安に思ったからだ。
「続けて」
 清四郎はそんな二人を置いて促す。
「田崎絵美は、私達の一人娘です。その娘が、荒川教授に殺されたんです。その原因を突き止めたくて、赤城さんを紹介していただいたんです」
 清四郎は眉根を寄せ、思案するように瞼を閉じる。
 田崎夫婦はその様子を黙って見守っていた。
「何故、その望月助教授が動かない?」
 口調の変わる様子を見て、田崎夫婦は肩を固める。冷たい目が二人を射抜く。
 まるで刑事に取調べを受ける被疑者のような心持で、二人は交互に理由を話し始めた。
「大学という組織内の理由で……」
「自らは動けない、と仰ってました。けど、あの人だけが荒川教授のミスを指摘したんです」
「娘は病死じゃない。殺害されたんだ、とも教えてくれました」
「けれど自分が動く事で大学から目をつけられては、何の解決にも至らない。知り合いに、こういう社会にも精通している情報屋が居る。彼に頼めば、少なくとも担当医であった荒川の不貞は暴かれる、と!」
 興奮に口唇が濡れ、口調は荒くなる。徐々に怒気をはらみ始めたのを見計らい、清四郎は漸く口を開いた。
「――弁護士にでも頼めばいいだろう。腕のいい弁護士ならば、一千万単位の賠償金を巻き上げてくれるだろうしな」
 薄く笑った。その笑顔に、田崎夫婦の背中に冷たいものが走る。けれども食い下がった。一度断れるくらいで引き下がるような覚悟で、ここに臨んできたわけではない。その気迫をむき出しにする。
「私達はお金が欲しいんじゃないんです!ただ真実を知って、もし本当に医師の過失により絵美が殺されたのだとしたら、それについての謝罪が欲しいんです!
 けれど、法律じゃ謝罪をさせる事はできないと聴きました。正攻法でいくことが出来ないのならば、非合法でも私達には縋りたい気分なんです……!」
「一千万」
 熱さとは正反対の声色で、清四郎は短く放つ。
「そこまで云うなら調査しても構わない。但し、一千万の報酬が得られるのならば、と前提を付けさせていただこう」
「そんな……!」
 法外な値段に、夫の方が目をむく。それでも清四郎は、さも当然といったような口調で言葉を続けた。
「貴方達にとって金の問題でなくとも、僕にとって金は重要なんだよ。調査するとなれば、最低一週間は仕事から離れなければならない。 現在僕の指名率はトップの六割だ。基本給に加えた売り上げは、ドリンクとフードを合わせた内の10%。更にお客様からのプレゼントだ。
 平均月給は二千万を軽く越すよ。 一週間仕事を離れれば、その指名ダウンは目に見えるし、収入は当然落ちる。それだけの補填を払い、更に仕事に対する報酬を支払える覚悟があってここに来ているのか、改めて問いたいのだが」
 夫婦は押し黙った。わらにも縋るような思いの中、その思いに夢見心地になっていたところを、いきなり現実に突き落とされた気分だ。お金がかかるとは思っていた。それでも、せいぜい二、三百万。そう甘く考えていたのだ。その程度の金ならば、老後の為に貯蓄しておいたところから切り崩せばいい。
 だが一千万となれば――そう軽く答えられる金額では無い。
「考える時間が欲しそうだな。 三日の猶予をやろう。その期間内に決断できたら、僕の携帯に直接電話を入れて欲しい。
 これが、その番号だ」
 清四郎は二人を挟むテーブルの上に、一枚の名刺を置いた。普段店で使っているものとは違う。この店名「Kaiser」の名は何処にも無い。あるのは「清」と一文字で書かれた組織名と、090から始まる番号だけ。
「三日を過ぎて連絡が無い場合は、今後何があっても貴方達に関与する気は無い。かといって、ここの事をみだりに他言する事は赦さない。それは貴方達も良くご存知だろう?」
 不敵に落とす笑みの中に、戦慄を覚える黒さを放つ。
 望月助教授が彼を紹介する際に、一つだけ彼らに注意を促したことがある。仮に交渉が決裂した場合でも、彼の情報を漏らさなければ危害を加えられる事は無いが、彼の意向に反する動きを見せた場合にはどうなるか解らない。これはあくまで、裏社会に通じるルートなのだから、と。
 その言葉を思い出し、二人は首が千切れんばかりに頷いた。清四郎はそれに満足し、扉の向こうに声を掛ける。
「アキ、お客様がお帰りだ!丁重にお送りしろ!」
 すると締め切られていった扉は自動ドアのようにすっと開き、中から先程の少年が顔を見せた。深く一礼をすると、彼らを店の入り口まで案内する。清四郎は後ろからそれを見送っていた。
 一千万。
 その言葉が二人の中には、いつまでも刻み込まれていた。


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